みなさんお元気ですか。
内山雅人です。
発明王トーマス・エジソンが世界的な偉人であることは疑いの余地もありませんが、トーマスの人生はすべてが順風満帆であったわけではありません。
それどころか、幼い頃はその個性から小学校には3ヶ月しか通えず、事故で難聴になってしまったりしています。
そんな彼を支え続けたのが母のナンシー・エジソンです。
トーマスは、日記に「すべてが母のおかげだった」と記しており、ナンシーの存在がいかに大きかったかをうかがわせます。
今回はそんなナンシー・エジソンの言葉をご紹介いたします。
他の子と比較したことはありません
「他の子と比較したことはありません。
子どもはひとりひとり違うのですから。
できるだけ良いところを伸ばしてあげようとしました。
良い子になったら〇〇をしてあげるなどという条件をつけたこともありません。
ありのままのトーマスを愛しました。」
他の子と比較をし、ご褒美や罰則で子どもの行動を促すことは「外発的動機づけ」といって、
「賞罰が伴わないと実行しない」
という行動パターンを促すことが知られています。
一方でナンシーが行った、条件をつけずに良いところを伸ばすという親や指導者の姿勢は「内発的動機づけ」といって
「内面から湧き出てくる興味や関心に基づいた行動そのものに価値を感じる」
という報酬がなくても集中して行動をするというパターンを促します。
トーマスが、幼少期から自由に研究や観察に没頭する習慣を身につけることができたのはトーマスのすべてを大きな愛情で包み、内発的動機づけによって見守っていたナンシーがいなければ成し遂げられていなかったでしょう。
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ハンディキャップや弱点は個性です
「学歴もない。耳もよく聞こえない。
見方によってはかわいそうな子なのかもしれません。
でも、私はそう思ったことはありません。
蓄音機も白熱電球の成功もあの子がハンディキャップから逃げずに乗り越えようとした結果です。」
エジソンが難聴になったのは12歳の頃で症状は年々悪化していきました。
耳が不自由なエジソンが蓄音機を発明したというのは驚くべきことですが、ナンシーにいわせれば
「音楽が大好きだったトーマスの耳が聞こえにくいからこそ、より音楽に情熱を燃やし蓄音機の発明に至った」
ということになるのでしょう。
トーマスの発明は、知識や技術を形にするということよりも、
情熱を燃やしていることを実現させるために新しいものを創り上げる
という特徴があります。
白熱電球の発明も
「私は地球から夜をなくしたい」
という壮大なスケールで始められた研究であるといいます。
ナンシーはハンディキャップを個性ととらえ、むしろ
「耳が聞こえないということはそれだけ集中ができるということだ」
という方向でトーマスに接しました。
いまでいうリフレーミングや多角的思考とよばれるものです。
トーマスはベートーベンのムーンライトソナタ(月光)がお気に入りだったといいますが、ベートーベンも難聴であるにもかかわらず歴史に残る名曲を数々残しています。音楽に対する情熱という点ではトーマス・エジソンと通じるところがあります。
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本当の失敗とは「何もしないこと」を指します
「失敗の伴わない成功は単なる幸運に過ぎません。
だから私はトーマスの失敗を叱ったことがありません。
私がトーマスを叱ったのは、何もせずに怠けたとき、そして始めたことを簡単にあきらめたときです。
本当の失敗とはなにもしないことを指すのです。」
近年、ネットの発展もあってか、
できるだけ楽をして結果を得たい。
時間をかけずに答えを知りたい。
という風潮があるような気がしています。
裏を返せば
「失敗しそうなことは始めからやらない」
といった人が増えているのではないかと思います。
ナンシーにいわせれば、それでは人は育ちませんし集中して物事に取り組むこともできなくなってしまいます。
ただ当のトーマスには「失敗」という概念そのものがなかったようで、白熱電球の実験での1万回の失敗に対し、弟子のフランシス・ジュールが
「1万回も失敗してまだ続けるんですか」と言ったのに対し、
「失敗などしていない。うまくいかない方法を1万も発見したんだ」
と発言したそうです。
まとめ
ナンシー・エジソンのことばには時代を超えて人が成長するためのヒントが数多く見られます。
トーマス・エジソンが生まれた頃はアメリカでも「よみ・かき・そろばん」の時代でひとりひとりの個性よりも管理に傾いていた時代ですが、そんな中にあってエジソンの才能を開花させたナンシーの教育法がトーマスの発明を通して、その後の世界に影響を与えたといっても過言ではないかもしれません。
「人生の節目節目で体験した危機的な状況に際して、母ほど自分を認め、信じてくれた人はいない。それなくしては、決して発明家としてやっていけなかった気がする。母の記憶は神の祝福に等しいものである。」(出典:「エジソンの言葉」浜田和幸著 大和書房)