ライフハック

自然の掟か、人間の掟か。「ザリガニの鳴くところ」 ※完全なネタバレ注意

みなさんお元気ですか。
内山です。

70歳にして処女作「ザリガニの鳴くところ」を出版したディーリア・オーエンズ女史ですが、
2019年に全米で最も売れた本となったそうです(700万部)。
個人的には翻訳ものはあまり読まない方なのですが、
これが評判に違わない名作でした。

あらすじ(完全にネタバレです)

1950年初頭、少女カイアはノースカロライナの湿地で6歳からたったひとりで生きていくことを強いられます。

父母と3人の兄姉で暮らしていましたが、父親のあまりにひどいDVに耐えきれず姉も兄も、そして母までもが次々と家を出ていってしまい、酒に溺れている父も遂に家に帰ってこなかったのです。
後に、母は家を出てから亡くなっていることがわかりますが、父親の消息は最後まで語られていません。

カイアは「湿地の少女」と蔑まれ、さまざまな差別とたたかいながらも自然と共存しながら力強く生きていきます
学校は1日だけ行ったもののいじめにあって二度と寄り付かなくなりました。

唯一の味方になってくれるのはボートの燃料を売っている黒人のジャンピンとその奥さんのみでした。
カイアは、貝や魚を集めてはそれを売って密かにくらしていました。

そんなとき、兄の友人だったテイトという少年と交流を持つようになり、カイアはテイトに読み書きを教わるようになります。やがて二人は恋仲になりますが、テイトが大学生になるとカイアのもとを離れていってしまいます。

大学を卒業し戻ってきたテイトはカイアに謝りますが、常に孤独とたたかってきたカイアは心を許しません
ただ、カモメや貝やホタル等の湿地に生きる生物に関して誰よりも深い体験と観察から知識を得ているカイアに驚いたテイトは、湿地に関する本を出版しないかとすすめ、カイアは出版にこぎつけることになり、それまでの貧しい生活からはやっと脱却できることとなりました。

その本はまたたく間に評判となり、カイアは「湿地の少女」ではなく「湿地の博士」と呼ばれるまでになったのでした。

テイトのことで心を痛めていたときカイアの前に現れたのが裕福な青年のチェイスです。彼はアメリカンフットボールのクォータバックとして活躍していて人気がありましたが、プレイボーイとしても有名でした。

チェイスは言葉巧みにカイアに近づきカイアは心を奪われます。
そして結婚の約束をするに至るのですが、ある日、カイアが偶然新聞を目にしたときチェイスが別の良家の女性と婚約をしたことを知ります。
にもかかわらずチェイスはカイアにまとわりつきすんでのところで強姦されそうになります

そして大きな事件が起こりました。
チェイスが夜中に火の見やぐらから落下して死亡したのです。
調査の結果、事故ではなく他殺の可能性が高いということで保安官はカイアを容疑者として逮捕し取り調べが始まりました。

しかし、カイアには当日のアリバイがありました。
出版社の人と打ち合わせをするために、事件現場からは数時間もかかる街に泊りがけで行っていたのです。

それでも保安官はカイアに疑いをかけ続け、その気になれば夜のバスで村に戻り殺害後に街のホテルへ戻れること、そしてチェイスがカイアからもらってつけていた貝のネックレスが殺害時になくなっていることなどから起訴に踏み切ったのです。

裁判が始まり、検察と弁護士の息詰まる攻防が始まりました。
しかし、検察側がそろえた証拠や証言があまりにあやふやであることで弁護士が優位に立って最終弁論が終わります。
そして、差別意識という大きな壁をも乗り越えてカイアは無罪を勝ち取るのです。

その後のカイアの生活は穏やかで幸せなものでした。

テイトと暮らすようになり、執筆をしながらあまり人とはかかわらないように湿地での生活を続けました

そして64歳のある日、ボートででかけたカイアが帰らないためテイトが様子を見に行くと仰向けに横たわったままカイアは静かに息を引き取っていました

数日後カイアの遺品整理をしていたテイトは小箱から信じられないものを見つけてしまいます。
それは、チェイスが死ぬ直前まで首に巻いていたネックレスでした。
最後の最後でテイトはカイアがチェイス殺しの真犯人であることを知ることになるのです。

惹き込まれる技法

この小説は、チェイスの遺体が発見される1969年の章から始まります
そしてカイアが幼少だった1952年から進む章と交互に語られます
そして、終盤になってそのふたつの物語が合流して1970年を舞台とする法廷の場面へと持ち込まれています。

つまり、中盤までは、
「雄大な自然のなかで一人ぼっちで暮らしテイトやチェイスに出会うカイアの物語」
「殺人事件を取り調べる保安官や弁護士の視点での話」
別に語られています。

それは、
「自然だけが唯一の友達でまさに自然に育てられたカイア」
「人間社会という枠の中でエリートとなったり法律を作ったり差別したりしながら生きている人々」
を対比するという意味で大きな効果をあげています。

作者のオーエンズ女史は、もともと動物行動学者を研究し博士の肩書を持つ学者です。
その深い造詣から語られる野生の動物に関する行は小説を忘れて学びになるものもたくさんあります。

「カイアは母親に捨てられるが、母キツネは自らが生き延びることが次の世代のために有益ならば子ギツネを捨ててしまう」

「七面鳥は一羽が傷つくと外的に襲われやすくなるためにその一羽を集団で殺しにかかる」

「交尾の最後に雄が気づかないうちにその雄を食べてしまう雌の昆虫」

カイアが目で見て体験して後に研究して学んでいく内容はオーエンズ女史の深い知識を背景にこれでもかと読者の心をえぐっていきます。
カイアの体験と動物の本能という描写が重なる場面ではなおさらです。

ある意味、自然の中にある「人間社会の異常さ」のようなものが随所に散りばめられていると感じました。

自然の掟か、人間の掟か。

カイアは言います。
「自然の中での死には善も悪もなくただひとつのできごとだ」と。

それが自然の掟だとすると、人間が決めた掟は法律を始めとして

「後付でできた善悪」

ということになるのでしょう。

カイアは、チェイスに強姦されそうになり彼の股間を蹴り上げて逃げ出すのですが、その後に母親が自分たちを捨ててでも出ていった理由を理解します。

「自分の父親やチェイスのような人たちは、最後に自分が殴って終わらないと気がすまないのだ。ならばそこからいなくなるしかない。」

そして「自分は母さんみたいにはならない」という決意をします。

読者はこの時点ではカイアがチェイスを殺害する決意をしたことはまだわかりませんが、読み終えてから理解できました。

そのときのカイアの心理を言葉にするのは甚だ野暮ですし小説全体に流れる壮大なテーマが伝わらなくなるのではという心配はありますが、

自然の掟ではやらなければやられる。
人間の掟ではそれが死刑に値する罪となるが自分はそれを乗り越えチェイスや父親の亡霊から開放される。

…ということなのでしょう。

事実、裁判が終わった後に事件に関するカイアの心理描写はなく穏やかに暮らしている場面が流れています。

読み終えて感じることはストーリー自体はそれほど複雑でもないし、ある意味推理もしやすい物語なのですがこれほど深い余韻や虚脱感が残る本も珍しいということです。

カイアの背後に「自然」が無限に広がっているからでしょう。

まとめ

ザリガニの鳴くところ
  • 動物行動学者のディーリア・オーエンズ女史が70歳にして世に出した処女作です。
  • 壮大な自然の中で6歳からひとりで生きた少女の物語です。
  • 少女と付き合っていた男性が殺害され少女は裁判にかけられます。
  • 自然と人間社会を対比して自らの生き方を問う大作です。
RELATED POST