内山の記事

何気なく使っている二字熟語には中国の故事から生まれた深い意味を持つものがある

みなさんこんにちは。
内山です。

「よしっ!かんぺき!!」

とか日常的によく使いますよね。
漢字で書くと

「完璧」です。
よく「完壁」と間違えて書かれています。

実は、この言葉は中国の故事から生まれたものです。

意味がわかると漢字を間違えることもなくなるし単純に面白いと思います。

今回は「実は故事から生まれた二字熟語」についてです。

完璧

完璧とは「欠点がなく完全なこと」を表します。

そもそも「璧」とはなんでしょう。

実は、祝い事とかで使われた丸い器のことを指し、一文字では「たま」とも読みます。

戦国時代に趙の国にあった「和氏の璧」という天下の名宝を秦の王がどうしても手に入れようと、なんと「15の城と交換してほしい」と提案します。

小国であった趙の王は、これに従い使者に璧を持たせることになりました。

使者が秦に赴き王に手渡すと、秦王が15の城を譲る気などないことに気づきます

使者は機転を利かせて「実は璧には傷がありまして」といいながら王に近づき璧を取り戻すと、

「王がそのつもりならば私の命ともども粉々にします」

といって、柱にうちつけようとしました。

驚いた王は使者に謝罪をし、結果的に使者は璧を無事に趙に持ち帰ることに成功しました。

また「完」という漢字の意味は、終わるという意味の他に

「欠けているところがない」

という意味があります。

「完璧」ということばは、この

「使者が璧を全くの無傷で持ち帰った」

という逸話から生まれたのです。

杞憂

「杞憂」とは、

「心配しなくてもよいこと」

を表します。

周の時代、杞の国である人が

「天が落ちてきたり、星がぶつかってきたり、大地が崩れたりしたらどうしよう」

と夜も眠れず食事もしなくなってしまいました。

この逸話がきっかけとなって、心配しなくてもよいことを「杞の国の人の憂い(心配事)」から「杞憂」と言うようになりました。

杞憂の杞は国の名前だったのですね。

推敲

「推敲」とは
「書いた文章や詩などを十分に吟味して練り直したりすること」です。

しかし、よくよく考えると「推敲」がなぜ文章に関係するのか文字からは意味を読み解くことはできません

唐の時代、賈島(かとう)という詩人がロバに乗りながら詩を作っていました

「僧は推す月下の門」

とうたったところ「推す」ではなく「敲(たた)く」が良いのではと悩んでいるうちに、都の役人の韓愈の列に突っ込んでしまいます

賈島は狼藉者として捉えられ韓愈の前に引き出されます。

そこで彼はことの流れを韓愈に話したところ、

漢詩の名人であった韓愈に「それは敲くがよい」とアドバイスをされ

それ以降長いこと詩を論じ続けました。

この「推す」にするか「敲く」にするかに因んだ逸話から「文章などを十分に練り直すこと」を「推敲する」というようになりました。

ちなみにこのとき賈島が詠んだ詩は以下のものです。

題李凝幽居

閑居少隣並 草径入荒園
鳥宿池辺樹 僧敲月下門
過橋分野色 移石動雲根
暫去還来此 幽期不負言

蛇足

「蛇足」は
「余分なもの」とか「付け足し」という意味でよく使われます。

楚の国のある主が門人に祭祀で使った余った酒を与えました

ところが、量が全員分はなかったため、「みんなで蛇の絵を描いて一番早く描けた者が全部飲んで良いことにしよう」ということになりました。

絵の上手なある男が真っ先に絵を描きあげたのですが、余裕がありすぎて

酒を片手に「わたしは足も描ける」蛇の絵に足を描き足しました

それを見た2番めに絵を描き終えた男が

「蛇に足はないのでそれは蛇ではない」

男から酒を取ってすべて飲んでしまいました

この話は、昭陽という将軍が大きな戦に勝利して自国での序列第一位になることが決定しているのに、さらに欲をかいて隣国に攻め込もうとしたときに戒められた時に使われたたとえ話です。

このことから単に「余分なもの」という意味だけではなく

「余計なことをした結果、大切なものを失う」

という意味も込められています。

助長

今日、「助長」とは「物事の成長を助ける」ときに使われる言葉です。

しかし、故事の語源としては、あまり良い意味で使われていたわけではありませんでした。

宋の国の話です。

ある男が自分の苗を速く成長させたいと、一日中、苗を引っ張っていたといいます。

その話を聞いた息子が畑に行くと、引っ張られた苗はすでに枯れていました

このように「助長」とは、もともと

「必要のない力添えや過保護にしてかえって状況を悪くすること」

という意味で使われていました。

「過ぎたるは及ばざるが如し」に通ずるところがあるかもしれません。

断腸

「断腸の思い」という言葉がよく使われます。
意味ははらわたがちぎれるほど辛い思いをすること」です。

東晋の時代、桓温という武将がおりました。

船に乗って隣国に攻め入ろうとしたとき従者のうちのひとりが子猿を捕まえて船に乗りました

すると子猿の母親が岸に沿って100里も追いかけてきて、やっとの思いで船に飛び移りますがそのまま息絶えてしまいます

その母猿の腸が悲しみによるストレスでずたずたになっていた」

ということです。

この話がもとになって「我慢のできない辛さや悲しさ」を「断腸」と表現するようになりました。

矛盾

「ほこたて」と書いて「むじゅん」と読みますが、その意味は

「同時に成り立たないこと。つじつまがあわないこと」

です。

楚の国にある武器商人がいました。

その矛(槍の一種)を薦めてこう言いました。

「この矛はどんな矛よりも鋭く、突き通せぬものはない」

一方で盾(防具の一種)を薦めてこう言いました。

「この盾はどんな盾よりも頑丈で、これを突き通せるものはない」

それを聞いた人が言いました。

「では、その矛でその盾を突いたらどうなる?」

商人はことばに詰まってしまいました。

矛盾には複数の解釈がありますが、「つじつまが合わないこと」に対する研究もあらゆる分野ですすんでいます

たとえば、「全知全能の神」を讃えますが、

全知全能ならば「絶対に突き通す矛」も「絶対に突き通させない盾」も作れてしまうことになります。

果たしてこの神は存在できるのでしょうか
もし存在するのならばこの矛盾の話をどのように解決するのでしょうか

…などといった命題が論理学や哲学の分野で論じられたりしています。

まとめ

  • 日常使っている熟語の中にはたくさんの故事が含まれている。
  • それらを学ぶことで熟語の理解が深まったり記憶に定着しやすくなる。
  • 一見、熟語と解釈に一貫性がないと見て取れる(たとえば推敲等)熟語は語源をあたってみると面白い。
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