ヒーローに変身して悪をやっつけたり
ファンタジーやホラーで狼や龍に変身する
というお話は漫画やアニメによく出てきますが、
純文学でも変身ものはあります。
最も有名なのは、
フランツカフカの「変身」、
日本では教科書にもでてくる中島敦の「山月記」、
あと変身するわけではありませんが、
同じ効果を出しているものとしては、
夏目漱石の「吾輩は猫である」なども同じかと思います。
人間以外の主人公から人間を観察するとどうなるのか。
本当に考えさせられる作品群です。
フランツ・カフカ「変身」
中学生の頃、薄い本だったので
本屋で何気なく開いてみたときの
衝撃ったらありませんでした。
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。
(高橋義孝 訳)
と、いきなり「毒虫に変身した自分」から話が始まります。
日に日に人間らしさを失っていき、
両親からうとまれますが、
妹だけは見放さずに面倒をみてくれていました。
しかし、下宿人に逃げられるなどしているうちに
ついに妹にも見放され、人知れず死んでいきます。
ここで描かれているザムザは、
カフカ本人であるといわれていますが、
日に日に状況が変化していく日常において、
家族、ひいては人間がどのような心理状態に
置かれていくかを見事に描写しています。
中島敦「山月記」
高校の現代文の教科書に登場する作品です。
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自みずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔よしとしなかった。
「これは古文じゃないのか。
なんで現代文の時間に古文をやらにゃならんのだ。」
と思った高校生は私だけではないはず。
しかし、作品は1942年にかかれているので、
現代文といえば現代文なのでしょう。
中国の唐の時代の話です。
エリート役人の李徴(りちょう)は自尊心が高く、
「自分より能力の劣る上司に仕えていられない」と
役所をやめて、詩人を志します。
しかし、うまく行かず再び役所に戻りますが、
かつての同僚たちが出世しているのをみて、
ついに発狂し行方をくらましてしまいます。
1年後、李徴が唯一気の許せる同僚だった袁傪(えんさん)が
ある林の中を歩いていると、虎に出会います。
何とその虎が李徴が変身した姿だったのです。
うすれゆく人間としての意識を保ちながら、
李徴は袁傪に
「自分がしてきたことを後世に伝えないでは
死んでも死にきれない」
と訴えます。
そして、虎となった自分を蔑み
弱さも打ち明けます。
「臆病な自尊心が自分をこんな姿に変えてしまった」と。
今、組織をはなれてフリーランスになったり、
独立して会社を立ち上げるといった意思を持つ人は
本当に増えてきました。
その根源には、李徴のもつような自尊心や過剰な自意識が
働いているのかもしれません。
この物語では、袁傪が大変バランスの取れた
人物像で描かれていますが、
自らの現実と理想に悩んでいる人や
高校時代に山月記に挫折した人も
ぜひ、読み直してみてはいかがでしょうか。
夏目漱石「吾輩は猫である」
ご存知、動物目線の古典である名作です。
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめしたところでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
この雄猫が英語教師の珍野苦沙弥(くしゃみ)のもとにたどり着くのですが、いうまでもなく苦沙弥先生のモデルは夏目漱石自身です。
猫の目から見た人間社会は、実に滑稽なものに映ります。
足が4本あるのに2本しか使わないのは、猫よりも閑なのだろう、
その割には多忙だ多忙だと自分で勝手な用事を作っている。
とか
衣類は人間にとって食べ物より大事に思えるほどだが、
髪や髭を丁寧に切っている
とか
猫から見たらどうでも良いことに人間はことのほか悩んでいる
とか。
その人間が会話をするのを聞きながら、
「吾輩」は哲学者のように客観的に人間を語るようになってきます。
もともと「吾輩」は人間に捨てられ裏切られて、
珍野家にたどり着くので、
前半は、人間と猫の間にかなりの距離を感じますが、
次第に人間を理解し近づこうとしている様が滑稽で面白いです。
そして、衝撃のラストシーンを迎えます。
「吾輩」は、人間の習慣であるビールを飲み酔ってしまいます。
気づいたら水瓶の中に落ちていて、
カリカリと這い上がろうとしますが、
自然にまかせて「もうよそう」と決心し死んでしまうのです。
ジタバタしないところが逆に泣かせますが、
死に際は人間より動物のほうが心得ているという
表現なのかもしれません。
なので、この小説では
人間よりも高い位置に「吾輩」が置かれているのかと
感じてしまったりもします。
漱石本人が随筆とかで述べてしまったら、
社会問題にもなりかねないような主張を、
猫の目を通じて書いていることで、
心に響く名作が生まれたのだと思います。
まとめ
客観的に人間を見つめ直したいときは、
変身ものの文学に触れてみると良いと思います。
- 「変身」は日々変化する人間の心理描写がすごい
- 「山月記」は自意識から生まれる葛藤が描かれている
- 「吾輩は猫である」は自然から客観視した人間模様に気づける