みなさんこんにちは。
内山です。
「真相は、藪の中…。」
とかよく使いますよね。
これは、「結局真相がわからないまま」という意味です。
では、なぜ「藪の中」なのかというと、
芥川龍之介の著作「藪の中」がそれをテーマにした物語で、
あまりにも長く語り継がれているために
日常的に使われるようになったのです。
小説自体は、文庫本で10ページちょっとの短編です。
「なんだ何分かで読めるじゃないか」
…その通りなのですが、読めば読むほど
「わからないことがわかる」という名作です。
藪の中ってどんなお話?
7人の登場人物が裁判官の前である事件を語ります。
7人はいろいろと話しますが、
事実としてわかることはこの3つだけです。
- ある夫妻が山道を歩いていると盗人と出会う。
- 盗人は妻を手篭めにする。
- 夫が刺されて死に、妻は現場からいなくなる。
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それぞれの言いぶんは、
超簡単に説明すると以下のようになっています。
- きこり…死骸の発見者
- 旅の途中のお坊さん…夫妻の目撃者
- 裁判官の部下(もと罪人)…盗人を捕まえた
- 妻の母…娘の安否を気遣う
- 盗人…自分が男を殺したという
- 寺に逃げ込んだ妻…自分が夫を殺したという
- 巫女によって霊界から呼ばれた夫…自殺したという
1~4までは、読者が概要を知るために客観的に説明がされています。
事件の当事者の5~7は、
それぞれが主人公のように主観的に語られています。
これだけでもわかるように、
事件の当事者たちが3人とも
あろうことか「自分が犯人だ」
と告白しています。
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真相はいかに??
では、実際の犯人はだれなのでしょうか。
ある意味古典的な推理小説のニュアンスもありますが、
一般的な推理小説やドラマでは、
船越英一郎さんと片平なぎささんが崖で追い詰めるとか
密室で古畑任三郎が論理武装してがんじがらめにするとか
水谷豊さんが激昂して黙らせるとかして、
犯人を明らかにするものです。
しかし「藪の中」では最後まで犯人がわかりません。
しかも一般的には、容疑者が「お、お、俺はやってない」と
言い訳をする場面は多々見受けられますが、
この物語ではその逆のことが起こります。
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そして、それぞれの話を単発で読んでいる分には、
何の矛盾もなく、納得のできる物語として
みごとに書かれているのです。
何せ芥川作品ですので、
たくさんの人がこの物語の解明には携わっていますが、
実は、真実を解明するだけの要素が
揃っていないことがわかっているみたいです。
では、この小説が訴えたかったことはなんなのでしょうか。
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「藪の中」にみる「物事の真理」と「人間の心理」
私たちの日常でも、
これと同じことはたくさん起こります。
たとえば、
Aさんから「Bさんからひどい目にあわされた」と相談を受け、
「そのとおりだ。これはほおっておけない」と思って、
Bさんに話を聞くと、
「Bさんの言ってることがもっともで、
Aさんのいってることが違うかもしれない」と
なることとかありませんか。
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起きている問題はひとつであっても、
違った立場から判断すると、
真実が全く違うことのように
捉えられていることは珍しくありません。
Aさんが捉えた出来事とBさんが捉えた出来事は
それぞれ違う脳のフィルタを通じて判断されますので、
それが真実として記憶されてしまうのです。
つまり、100%客観的な真実などこの世には存在せず、
すべてがその人の脳の中での物語ということになります。
加えて人間は、
自分の都合の良いものだけをみて、
都合の良いように判断する
という生き物なのかもしれません。
「藪の中」はそんな人間の特性やエゴを
わずかな文字数の中に凝縮した名作であるといえます。
まとめ
巨匠黒澤明監督が「羅生門」という題名で映画化して
世界的に話題になりました。
芥川龍之介の小説で羅生門という作品がありますが、
ストーリー的には関連はありません。
時代背景を伝えるために、
場面に羅生門のセットを使ったのではと思います。
初めて読んだのは10代の頃でしたが、
これを読んでから、人の話の聞き方が大きく変わりました。
作品自体はすぐに読めます
まだの方は是非ご一読を!!
- あらすじは単純な短編小説。
- 7人の告白で成り立っている。
- 内容が矛盾だらけで最後まで真実がわからない。
- それぞれの告白には矛盾がないことから人間の心理の底をえぐる名作となっている。