中学生の頃
「0は何で割っても0」
「どんな数字も0で割ると無限大」
と数学の先生に教わりました。
私的に「0と円(○の方です。お金ではありません)は夢がある」とずっと感じてきましたが、なんで0で割ると無限大になるのでしょう?
ちょっとした思考をしてみました。
そもそも0(ゼロ)って何?
「光と闇」は相対することばとして使われます。
光は太陽や電灯に照らされているのでイメージしやすいですが、闇の定義は何でしょう。
「光のないところ」でしょうか。
それとも「闇というところがある」のでしょうか。
また「有と無」も相対することばですが、無の定義はなんでしょうか。
「何も無い状態」でしょうか。
それとも「無というものがある」のでしょうか。
同じように0の定義は何でしょうか。
「無い」という意味でしょうか。
それとも「0という数字がある」のでしょうか。
ゼロで割るを式にしてみる
たとえば2を0で割って答えをaとしてみましょう。
2 ÷ 0 = a
となりますので、式を書きかえると、
0 × a = 2
になります。
ことばにすると「ゼロに何かをかけて2になる数値がa」ということになります。
かけ算では「ゼロに何をかけてもゼロ」ですから、
そんな数値は「ない」とか
そんな計算は「できない」
が答えであって、決して無限大ではないような気がします。
極限という考え方をしてみる
数学でこんないいまわしを聞いたことがあります。
- 同一平面上で交わらない直線を平行線という。しかし平行線は無限の彼方では交わる。
- 直線とは半径が無限大の円である。
数学の公理というのは実にわがままだと感じますが、いわれてみればうなづいてしまえるところに美しさがあります。
無限の彼方とか無限大のことを「極限」といったりもしますが「ゼロで割ると無限大」という解もその定義で見直すとどうやら解釈が可能になってきます。
ちなみに天気予報で「降水確率はれいパーセント」というのは日本語の零(れい)の意味が「無」ではなく「すごく小さい」とう意味で使えるからなのだそうです。
同じように0を
「無限に小さくしたら無になる数値」
と定義し直して先程の式にあてはめてみると、
0 × a = 2
の0は「限りなく小さな数値」ということになりますから、
たとえば0.1にすると、
0.1 × a = 2
を満たすaは20になります。
これをどんどん小さくしていき、
0.000000000001 × a = 2
とかにすると、a=2,000,000,000,000となり、
さらに限りなく小さくしていくと
aは限りなく大きな数値(つまり無限大)
となります。
何とか私の長年の夢がまもれました。
では0を0で割るとどうなるの?
ただ、
「0は何で割っても0」
「どんな数字も0で割ると無限大」
このふたつにも矛盾がありますよね。
「0÷0」はどうなるのでしょうか。
上に従えば答えは0、
下に従えば答えは無限大(か不可)
になります。
また、分子と分母が同じ数値ならば答えは1で良いではないかとも思っていたのですが、実はそう簡単にはいきません。
0 ÷ 0 = b
としてみましょう。
式を書きかえると
b × 0 = 0
となりますので、
bの答えは「何でも良い」ことになり、今度は答えの数が無限にあることになります。
数学はベースとなる公理によって結果が違う
数学は学問そのものがいろいろな公理(仮定や証明によって導き出されるものではなく無条件に正しいと決められたもの)によって支えられていてその体系も多岐にわたっています。
そのためベースとなる体系がかわると公理もかわり定義も変わるのでたとえば0のような不思議な数値とかになると様々な解釈や結果が生じてきてしまうようです。
まとめ
- 0の定義によってある数値を0で割ると「不可」になるときと「無限大」になるときがある。
- 0を0で割ると「どの数値でも良い」つまり「不定」になる。